現代社会・技術の評論・雑感

現代社会・技術ついての評論と雑感

働き過ぎの方々へ

kenko856
 本日は、働き過ぎの方々、なかでも、自分の仕事量に、自分で調整の余地がある方々への提言である。なお、ここでの仕事には、サークル活動などの準仕事も含めて考える。

 働き過ぎ防止のための習慣・制度としては日曜日がある。7日に1日の休みはキリスト教などでは安息日(あんそくび、又はあんそくにち)と呼ばれている。
 私は安息日ができた意味を考えると、働き過ぎを、ある程度、防げると考えている。

 安息日ができた理由は旧約聖書に書かれている。そのうちのひとつをみておこう。
「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
 6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。
 あなたはかってエブプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るように命じられたのである。」(『旧約聖書』申命記 5章12~15節)

 これは今から2千数百年前に書かれたものである。
 さて、ここで注目してもらいたいのは「そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。」の文言である。
 これによると、安息日、即ち7日に1日休むことの必要性は、働く人自身より、その人に使われる奴隷に焦点が置かれているように読みとれる。安息日は、働く人すべてのために作られた習慣のようであるが、じつは奴隷や家畜のために作られた感じが強いのである。

 使用者は、安息日の習慣がなくても、自分で自分の労働量をコントロールできるかも知れない。しかし、奴隷や家畜はそうはいかないのである。
 私は、この申命記の記事をなんども読んできたが、読むたびに、安息日の背後にある「やさしさ」を強く感じてきた。

 仕事量に調整の余地があるのに働き過ぎている方々に申し上げます。
 あなたが働き過ぎることによって、誰かに迷惑をかけていないでしょうか。迷惑を受ける多くは部下だと思います。しかし、それ以外にもいることがあります。あなたの家族が迷惑を受けているかもしれません。そのほか、親戚の方とか近隣の方の場合もあるでしょう。あなたが役割を果たさないために。
 いま一度、点検してもらいたいものです。

(注1)安息日は、キリスト教では日曜日、ユダヤ教では土曜日である。
(注2)旧約聖書には、安息日に働いた人に対して、共同体全体が厳しい罰則を課した事例が書かれている(民数記15章)
(注3)内村鑑三によると、安息日の考え方は日本にもあったとし、「茨城県加波山麓地方に於て古より七日中一日休息の舊慣の所々に於て行はるる事である」などと書いている(内村鑑三「モーセの十誡」)。
(注4)聖書申命記の中の「寄留する人々」は、別の聖書訳では、他国の人と訳されている。